【2023】昭和大学 医学部 医学科 既卒合格 山本恭平さん(東京農大第一)

昭和大学 医学部 医学科 既卒合格

山本恭平さん(東京農大第一)

その他の1次通過大学

東北医科薬科大 医学部

東邦大 医学部

数ある予備校の中から、一会塾を選ばれたのはなぜですか?決め手はどこでしたか。

高校2年生の冬までは定期テストでよい点を取るために東京個別指導学院にいました。個別指導塾ならではの生徒との距離感、親身さやきめ細かい指導のおかげで高校では常に上位クラスにいることができていました。しかし医学部受験のことを考えるときちんと医学部についての知識、指導法などを持ったプロ講師の下で習った方がよいなと思ったので医学部専門塾を探していました。

そんな時に母親の知人(一会塾で早稲田理工に合格されたOさんのお母さんが)が小さめの塾だけど良い先生がそろっていて、生徒一人一人をしっかり見てくれる塾があると一会塾を母親に教えてくれたみたいで、家が近く通いやすかったこともあり一会塾の門をたたきました。

 

高校生活について教えてください。

私は中学、高校共に東京農業大学付属第一高等学校にいました。高校のカリキュラムは中学受験で入学した生徒は中学3年生の間に高校の範囲を少し先取りして学習するので、高校受験で入学した生徒より習得に時間をかけることができます。学年により異なりますが上位クラスが作られ、難関大志望者がひとまとめにされます。

基本的には中学受験組は東京農大に行くよりも一般受験や推薦入試を活用して、MARCH以上の学校を目指します。東大には毎年数人合格者を出しています。

部活動は中学校時代に軟式野球部で主将をしていましたが、チームスポーツから離れ、自分自身の力でどこまで成果が出せるのか試したいと思い、高校では部活動ではなく個人的にボクシングをはじめました。大会に出るとき以外は地元でボクシング教室を開いている方の下で指導してもらったり、出稽古をしたりしながらボクシングの技術を磨き、大会の時だけ高校の名前をお借りして東京都の大会に出場していました。ボクシングはマイナーなスポーツなうえに体重別の階級制なので階級によっては一回勝つだけで賞状をもらえたりします。昭和大学の面接のときもボクシングの話は面接官の方が興味を持ってくれて大いに盛り上がり、自分がどんな人間か見せるチャンスを作れました。

塾と学校の両立は他の学校と同じく大変だったので、ばれないようにこそこそと内職をしながら、怖い先生の時はちゃんと背筋を伸ばして授業を聞いていました()

 

大学・学部志望動機について教えてください。

医学部を本格的に目指したいと口に出したのは高校2年生の冬です。医者になりたい理由はたくさんありました。私は高校2年生の冬のボクシングの大会で優勝できなければ、ボクシングを中断して勉強に専念すると決めて大会に臨んだのですが、決勝で敗れてしまい、他の部活動をしている人よりも早く勉強一本に絞ることになりました。その分やはり偏差値の高い大学に受からないとカッコ悪いと思ったのです。

またそれまでは将来の夢はプロボクサー一本と宣言していたのですが、実際ボクシングの世界で生きていけるのは一握りで、選手生命も短いリスクと隣り合わせの世界です。もし自分がプロボクサー以外の職業に就くなら何にしようか。そう考えたときに直感でこれだと思ったのが医師でした。小さいころに見た救命救急のドキュメンタリー番組の中に出てきた懸命に命を救おうとする医師の姿を見て、スーパー戦隊や仮面ライダーのような悪の組織と戦い、人々を守る正義のヒーローのようなカッコよさを感じたのをいまでもおぼえています。医師であればどんな時代が来ようと需要がなくなることはないだろうし、最難関学部なので合格出来たらカッコいい。そして何より医師という職業はかっこいい。実際の入試でも医師に何でなりたいと思ったのか聞かれたときは純粋にかっこいいからですと答えました。

 

一会塾での受講科目について教えてください。また特に印象に残っている授業はありますか?

 

一会塾で受講していた授業は以下の通りです。

 

高3生 数Ⅲ 数ⅠAα 受験物理α 受験化学

既卒時 メディカル小論文 英文法 英文読解 英作文 共通テスト国語 化学演習

 

〇英語

印象的な授業は受けた授業すべて印象的だったのですが、特に印象的だったのは鍋谷先生の英文読解の授業です。私は浪人期ずっと精神状態が不安定でした。勉強嫌いでスポーツバカの私にとっては一日中自習室で勉強し続けなければならなかった浪人期は地獄でした。そんな精神状態を一時的に回復させてくれる薬がこの授業でした。

まず鍋谷先生自身が高エネルギーの塊のような先生でした。授業が始まるとまず雑談のような話が始まりますが、その話の中には先生の生徒に対するメッセージや実際に文章を読むうえで知っておいた方がよい知識、考え方を多大なるエネルギーとともに自然に頭に浸透させてくれます。僕は授業冒頭のこの雑談のような解説を毎週楽しみにしていました。

受験の終わった今でも鍋谷先生の話は思い出します。困ったことや大きな問題にぶつかったとき鍋谷先生が授業中に話していたことを3考にしていたりします。

 

〇化学

川原先生の化学の授業はとっ散らかっていた僕の頭をきれいに整頓してくれました。こう覚えなさいという具体的な指示にプラスして、なんでそうなるのかを簡潔にわかりやすく説明してくれました。川原先生の授業をとってから、なんでそうなるの?という疑問がめっきりと減りました。またなんでそうなるの?とぎもんに思ったことを質問に行くと「よくきづいたね!」と歓迎してくれて、他の単元との関連や高校範囲外の知識を交えてどんな疑問も解決してくれました。よく雄一郎さんに「恭平は我が強い」と言われてましたが、川原先生はそんな我が強い質問も完璧に答えてくれます。

 

〇物理

真木先生の物理の授業は物理に対する苦手意識をなくし、物理の面白さを教えてくれました。授業内で教えたことを、授業中に演習をして定着させてくれるので、授業が終わるタイミングには自分の成長を肌で実感できました。

一番感動したのはコンデンサーに関する問題のところです。極板上の電荷がどのような状態なのか、表にはあるけど裏はどうなっているのか、たくさん極板が重なるとどうなるのか。いまいちピンと来ていなかったことがたったの一日ですべて解決してしまった時の感動は今でも忘れられません。電磁気でみんなが試行錯誤しながら足踏みをしている中、するすると前に進んで他の受験生にリードすることができます。

受験勉強全体について教えてください。

 

現役の時はどの科目も中途半端な状態でした。定期テストはできるけど、模試になると全く成績が出せない典型的な中高一貫校生だったと思います。学校の授業で習ったこともきれいさっぱり定期テストの後には忘れていたので、唯一数学だけが河合模試で偏差値60ほど、それ以外は偏差値50台といった感じでした。

高校3年生にもなると学校の授業についていけなくなりました。授業がすごいスピードで進んでいくなか、他の人に比べて理解するまでに時間を要するだけでなく、変な別解を検討したり、他の分野と絡めて考えたりと先生の言ったことを素直に聞き入れて、問題を解けるようになれば良いだけなのに余計なことをたくさんしていました。学校の先生に変な質問して、かなり困らせていました。塾講師の仕事をしている今の僕でも、厄介すぎる面倒くさい生徒だったと思います。

一会塾に入ってからはぐんぐん学力が伸びていました。高校3年次は理系教科の授業をとっていたのですが、理系教科は苦手な単元、わからない問題がどんどんとなくなっていき自信が出てきました。しかし現役の時も、浪人前半も共通してなかなか模試で成績が出せませんでした。先生や親の前でいつも「時間が足りなかった」、「家に帰ってからやってみたらできたのに」というセリフを繰り返していました。言い訳にしか聞こえませんが本当にそうだったのです。成長している自信はありましたが表の成績には出てきませんでした。

親は心配して口うるさくなり、医学部以外の他学部を勝手にネットで調べまくったり、自分が医学部に入れない想定で色々と動かれていることに僕はずっとイライラしていました。

浪人しているときに鍋谷先生に模試の対策をしろと言われました。最初はそれでは実力がちゃんと測れないじゃないか?と思いましたが、自分なりに時間管理、解く順番、時間が無くなったときにどこを削るかなど考えて準備して臨みました。すると初めて河合模試で偏差値60を超えました。このときにあることに気づきました。いま塾講師として生徒に接するようになってからはゲームに例えて説明しています。先生が教えてくれているのはあくまでゲーム機の操作方法と全ゲーム共通の攻略の糸口であるということです。特に医学部英語はこの色が強く、どの試験を受けるかによって全然ゲームの種類が変わってきます。マリオカートができるからと言ってテトリスがうまいとは限らないのです。

それ以来僕は、ゲームをプレイすること、入試問題を解くことに重きを置いて勉強するようになりました。わからなかった問題は先生の授業資料に戻って出来ていなかったことを確認し、授業の演習問題をやり直す。問題を解くことだけでなく、その問題にかかる時間やテスト全体を通しての解く順番、時間のかけ方、何分経過時にここまで行ければよい感じ、わからなかったとき保留するのか、適当に答えるのかまで考えました。英語に関しては出てくる長文に対して、すべての品詞、単語の意味が分かるという状態をゴールに勉強していました。

 

一番伸びた科目は?

浪人期はやはり英語だと思います。模試の成績も唯一よかったですし、入試本番も一番手ごたえがありました。あとは小論文ですね。全く知識0の状態から本番は迷いなくペンを走らせ、自信をもって提出できる答案を書きあげられる状態になりました。

 

一日の勉強スケジュールについて教えてください。

 

朝は理系、夜は文系科目といった感じで一日10時間を目安に勉強していましたが、なかなか継続できませんでした。極度の勉強アレルギーだったので長時間勉強できた翌日は7時間、ひどいと2時間程度の日もありました。

大体90分に一回休憩を入れて、塾の周りを散歩したり、近くのファミリーマートでスパイシーチキンを食べたり、単語帳を廊下でみていたりしました。勉強がしんどくなるたびに廊下で外の空気を吸いながらノートや単語帳を見ていました。

 

一会塾の学習環境はいかがでしたか?

ベストな環境だと思います。静かな自習室に大学生スタッフや講師にいつでも質問できる環境、リラックスできるラウンジに、雑談から悩み事までなんでも親身に話を聞いてくれる両親のような担当スタッフまでいるので集中して自分の勉強に力を注げます。

少人数制なので本当に一人一人をきちんと見てくれます。スタッフ、講師との距離の近さは一会塾ならではの強みだと思います。問題があるとすれば、本当に実の父くらい世話を焼いてくれるので、実の父に感じるような反抗したくなる感情もわいてくるところだと思います。一時期はスタッフの佐藤さんに対して反抗期な時期もありました・・(笑)

 

一会塾の講師陣は他の塾に比べて圧倒的に指導力が高いです。使っている教材、指導方法は生徒の悩みを解消するうえで最適化されています。中学校時代に学年で下から2番目の成績で校内偏差値28.9の僕でも医学部に受かることができました。

 

特にお世話になったスタッフさんはやはり佐藤雄一郎さんです。雄一郎さんはもう父親でした。受験直前も佐藤雄一郎さんと会話をすると安心することができました。特にありがたかったのが両親と僕との間を取り持ってくれたことです。心配しまくりの両親にとっても佐藤雄一郎さんの存在は大きかったと思います。

 

浪人期は一瀬先生によくお世話になりました。去年解いて保管しておいていた一瀬先生のウィークリーテストをもう一度解きなおし、採点して一瀬先生からフィードバックをもらっていたのですが、これがかなり良かったと思います。自分ができると思っていても、完全ではなかった単元や問題を発見することができました。また可愛らしい先生で雑談したり、悩みを聞いてもらったりしてリラックスさせてもらっていました。

 

受験当日のことは覚えていますか?

 

はい、よく覚えています。去年もTOCでの受験は経験していたので、リラックスしていつも通り望めました。机にかじりついて暗記物を詰める受験生、風邪をひいているのか鼻をずっとかんでる受験生、同じ高校の友達と雑談している現役生。去年とほぼ同じ光景でした。

そんな中僕は川原先生の有機化学のプリントや一瀬先生の授業ノートを廊下でぐるぐると歩きながら眺めたり、席に座ってホワイトチョコとピュレグミを大量摂取したりしていました。廊下でペラペラ雑談している記念受験の現役生を見ると「コイツには絶対勝った」と自信を持つことができました。浪人生らしい質素で防寒に力を入れた服装をしていくと舐められずに済むと思います。

東北医科薬科、昭和、順天、東邦を受験したのですが、順天は手ごたえ0で、帰るときには落ちた自信がありました。昭和は可もなく不可もなくやれることだけはきっちりやってきたという感じで、東北医科薬科は直前に真木先生の教材で勉強しておいた範囲がそのまま出たり、自己採点をしたときに勘で選んだものがかなり当たっていたりしたので多分受かっているだろうと思いました。

一番手ごたえがあったのは東邦でした。テストを受ける前の時点で、東北医科薬科の就学資金枠の補欠合格をいただいていましたが、繰り上がる可能性は少ないと思っていました。昭和大学も一次試験を通過していないと考えていた僕は実質、医者になれるか否かは東邦の結果次第だと考えていました。中学入学から7年間勉強してきたことをフルで出し切り、自分史上最強に頭のキレた自分を出してやろうと決意して臨みました。

理科、数学共にいつもより頭が回り、試験終了までずっとペンが止まることはなく、すらすらと解法が思いつけました。この調子でいけば受かるという手ごたえがありました。

そして難易度が高いとされている英語を受けるタイミングには完全にテンションが上がって、やる気に満ち溢れていました。人生のかかった勝負の真っただ中という感じで物語の主人公にでもなったかのような気分でした。赤本解いても全然時間も間に合わず、正答率も悪かった英語ですが、その日はなぜか終了時間ぎりぎりですべての問題を解き終わり、7割ほどは正解を確信して選べました。

長文を読んでみて問題に関連してそうな範囲は簡単に文型をさっと書きながら読んでいたので、僕の問題冊子は誰のものよりまっ黒だったと思います。また時間配分も完璧にうまくいきましたし、わからない問題に出会った時、面倒な問題に出会った時はすぐに切って次に進めました。試験中に周囲の受験生のペンが進んでいない、ページがめくられていない様子を感じられたのも「よし勝てる」と思い、頭の回転を加速させる要因だったと思います。試験終了後は誰よりも疲弊していて、運動後くらい過呼吸になっていました。この日が今までのどの自分より頭がキレていました。

 

2次試験でのエピソード

 

東北医科薬科、昭和、東邦の2次試験を受験しましたが、一番記憶に残っているのは東邦の集団討論です。4人1組で与えられた絵に対する考察を制限時間内に話し合い、発表するという形の試験でした。試験が始まってすぐに司会をやりたいと申し出て、司会をさせてもらったのですが、時間配分を誤り、発表ができずに終わってしまいました。完全にやらかしたと思い、他の3人にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。全試験が終了したときエレベーターの中で4人一緒になったのですが、エレベーターがしまった瞬間に3人に謝りました。すると「人間性とかコミュ力を見ているだけだから別に大丈夫だよ」、「時間が間に合わなくても受かるらしいから大丈夫だよ」と笑いながら許してくれました。そのあと一緒に駅まで歩き、連絡先を交換して、「入学式で会おうぜ」と言って解散しました。(結局昭和に進学しましたが(笑))。まさか2次面接で友達ができるとは思いませんでした。

浪人生活ついて思うことはありますか?

 

浪人したら人生が終わると思っていました。みんなが大学生活を楽しんでいる中、予備校の自習室にこもるのが死ぬほど嫌でした。農大一高は浪人者が比較的少なく、僕のクラスメートは僕を除き全員現役で進学しました。

浪人中はとにかく家にいないようにしました。朝はマックでスプライトのSサイズ氷なしを頼み、長時間店内に居座り続けて、自習室が開くころに塾に移動して自習室が閉まるまで勉強し続けました。ずっとつらくて、一週間に一回ほどは途中で家に帰ってダラダラしたりしていました。

ずっとメンタルが浮き沈みしていたのですが、一番大きい谷が大みそかに来ました。コロナウイルスに感染してしまったのです。家の中で勉強しようとしても10分も集中力が続かない僕は絶望しました。もう頑張りたくないし、頑張れない気がして勉強をあきらめてアニメを見ていました。ちょうど流行っていたブルーロックやチェンソーマンなど五作品くらい一気見しました。一般的には愚行とされる行為だと思いますが、僕は一週間アニメを一気見したことが功を奏したと思います。

 

アニメのところどころにその時の自分の心に響くシーンがありました。人生のかかった勝負の中で劣勢に立たされている中、チームの中で一人だけ「楽しくなってきたー♪」と言いながら相手に突っ込んでいき、戦況とチームのムードをひっくり返すような頭のねじが外れたキャラがいました。その姿に「死ぬほどカッコいい」「自分はこういうキャラに憧れていたんだ」と思い、受験という勝負に対するモチベーションが急激に上がりました。

浪人期を暗黒期と表現する人が多いと思いますが、その中で忘れてしまいがちな自らが受験という勝負の主役であるという主人公感を忘れないために適度なアニメはよいのではないかと思います。

また浪人期に聞く音楽も普段より歌詞が心にしみて、テンションを上げたり、モチベーションの向上に役に立ちました。「ウルトラソウル」「won’t be long」がおすすめです。

 

受験を振り返って

 

勉強嫌いの自分にとっては地獄のような日々でしたが、その日々のつらさも受かった瞬間にはすべてどうでもよくなります。初めて医学部医学科の一次試験合格が分かったときには夢を見ているようでした。中学入学時には下から数えた方が早かった僕が、まさか医学部の一次試験を突破できるなんて自分自身も両親も思っていなかったと思います。学力の向上もそうですがこの一年間で自分としっかり向き合い、自分の性格などをよく知ることができました。その点においても浪人してよかったなと感じています。

 

合格のポイントは試験の中で落ち着いて実力が出し切れるような準備をしっかりできていたことにあると思います。過去問を解いて、時間配分や厄介な問題が出てきやすい位置、解く順番などたくさんの可能性を考えていたことがよかったと思います。現役の時はとにかく先生に教わった知識を覚えて、解ける問題を増やそうと必死になっていたので、あまりそのことを考えていませんでした。

 

またちゃんと理解できているかの確認にたくさん時間を割いたのもよかったと思います。一個一個確実に穴をつぶしていったので、自分が何をわからないのかがわからないという状況が改善されました。

昭和大学での一年間について(寮生活)

一番簡単に表現すると「修学旅行1年間」だと思います。行く前は寮生活に対する不安しかなかったのですが、寮について2時間ほどですぐに仲良くなり、楽しくワイワイしていました。

しかし長い時間をともにしていると当然問題が出てきます。1つのトラブルをきっかけに仲が悪くなったりして、同じフロアのメンバーの中でも一緒にいる時間が長い友達、かかわりたく無い友達ができたりします。入寮当初は普通じゃ考えられないくらい仲の良かった友達でも、長い時間一緒にいるとその人のマイナスな面も見えてきます。そして仲が悪くなったり、気まずくなったりしても一年間はずっと一緒に暮らし続けなければなりません。そうなったときにどのように学生がふるまうのかを富士吉田の教員は見ているそうです。実際に僕自身、「和を以て貴しとなす」ことがどれほどむずかしいことかを痛感させられました。

富士吉田には昭和大学一年生のみの部活動があります。僕はほとんどの運動部に所属していたのでたくさん友達を作ることができました。体育館やテニスコート、柔道場、プールなどの設備がそろっているので無料でいろいろなスポーツを楽しむことができます。僕は毎日部活をはしごして楽しんでいました。体を動かすのが好きな人にとっては天国のような環境が整っています。

体育祭や寮祭、ウインターパーティーなどのイベントもあるので、受験勉強で失われた青春を取り戻すことができます。また近くに富士急ハイランドがあり、授業おわりや休日に遊びに行けます。

勉強は一年生の間はそこまで重くありませんが、テスト3週間前になると一気に勉強ムードが走り始めます。学習室や図書館を利用する学生が増えたり、フロアの中でも勉強の話をしたりするようになります。

一年間の寮生活の中で、たくさん思い出を作れるだけでなく、勉強についても人間関係についても大きな学びがありました。昭和大学に行かなければ味わえない経験が富士吉田キャンパスにはたくさん詰まっています。

 

受験生へのアドバイス

 

僕のように勉強嫌いの人はつらい一年になると思います。とにかく今に集中してください。未来のことを考えてもいいことはありません。特に受験直前になると受からなかったら努力が水の泡になるという考えが頭の中に居座り続けます。「受からなかったら親に申し訳ない」、「高校の友達にどう思われるだろう」などいろんな感情が心をもやもやさせます。

でも結局はあなたがやれることをやることしかできません。多くの受験生ができないことをやろうとして、病んで、勉強を放棄したり、今年は無理だと投げ出したりしています。

黙々とやれることをやり続けていれば気づいたら周りに勝てる力がついています。無理せずに休憩もはさみながら、やれることをやり続けましょう。

※校舎未定の場合は武蔵小杉校へご相談ください。

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